入居者が逮捕された!
O家さんは毎朝新聞を読むのが日課です。
オリンピックの話題でにぎやかなスポーツ面とはうらはら、殺伐とした記事の多い社会面。そのなかのとある記事が目を引きました。小さな記事ですが、なんだか名前に見覚えが……。
「……殺人の疑いで、春野夏雄(45歳)を逮捕した。また秋川冬子(23歳)を共犯として……」
うーむ、と考え込むO家さん。
そこへ電話が鳴りました。管理会社です。
「大変です! 新聞ご覧になりました?」
「今見てる。見覚えのある名前のような気が……」
「マルシェ北坂の入居者です。ほら、先週退去届をFAXさせていただきました」
「おお! 春野の会社で法人契約の! 」
「はい、秋川が従業員で入居者、春野個人が連帯保証人です」
翌日警察から、家宅調査の連絡が入り、管理会社が同行しました。
「どうだった?」
「来月末で退去予定だったんですけど、思うところがあったのか、だいぶ荷物は減ってました。でも家具とか残ってんですよね」
「確か、入居者には子どもいたよね?」
「オバアチャンが引き取ったそうです」
管理会社は、警察からは担当刑事を教えてもらった、と名前をO家さんに伝えました。
O家さんはとりあえず、子どもを引き取ったという祖母に、荷物も引き取ってもらえないか聞いてほしい、と管理会社に依頼しました。
さて、警察方面はO家さんがしなくてはなりません。管理会社とはそこまで契約していないからです。
管理会社から聞いていた担当刑事に電話します。
「そちらでお世話になっている春野と秋川の件なんですが……」
「どちらさまで?」
「わたくし、O家と申しまして、彼らの借りてた借家の家主でございます」
O家さんは未払い家賃が1か月分あることと、部屋に荷物が残っていることをつたえました。
正確には、入金期日に間に合っていないだけですが、退去期日までに部屋へ戻ってくることはありそうにありません。
しかし刑事からの返事は、O家さんをおおいに困らせたのです。
「二人とも接見禁止がついてましてね。担当弁護士以外は会えないんですよ」
「じゃあ、手紙でも」
「警察に送っていただければ、届くには届きますが、接見禁止なんで本人に渡るかどうかはわかりませんねえ」
O家さんは仕方なく担当弁護士の名前を教えてもらいました。
O家さんは秋川の弁護士、紅葉野先生へ電話します。
が、弁護士の先生は忙しくてつかまらない。こういうときにはFAXです。これまでのいきさつを書いてながします。
夜になって紅葉野先生よりO家さんへ電話。
「事情は本人に伝えます。けれど接見禁止ですので、お返事をお伝えすることはできません」
「えっ……、じゃあ本人の返事を書面でいただくことは……」
「接見禁止ですからできません」
「先生に秋川さんの代理になっていただくことはできませんか」
「私は刑事の弁護人です。民事は範疇外です」
なんとも取り付く島もありません。なぜかというと紅葉野先生は国選弁護人だからです。忙しい中、さして報酬がもらえるわけでもない弁護を国から押し付けられているわけで、必要最低限のことだけをしようと思っておられるようです。
今度はO家さん、困惑しながらも春野の弁護士、桜川先生へ連絡します。
桜川先生からのお返事は
「いや、本人も気にはしてるんですけどね。荷物は入居者のだしね」
今度はちょっと親切で、O家さんは胸をなでおろしました。
「未払い家賃と部屋の原状回復はどうしましょう?」
「法人契約だし、会社のほうへ連絡とってみてください」
それはもっともです。
しかし、O家さんは連絡がつくとは思っていません。
中小企業にありがちなことですが、春野の会社はほとんど個人経営だからです。
案の定、電話は
「おかけになった電話は、現在つかわれておりません」
念のため出した内容証明は不達でした。
再度桜川先生から電話。
「秋川も春野も、荷物は処分してもらってかまわないといってますよ」
「書面になりませんか?」
「いや、それはちょっと」
処分、と簡単にいってもけっこう費用がかかります。
それに承諾の証拠なしに処分して、塀の中から出てこられたあと文句をいわれても困ります。
しかたなくO家さんも、残置された荷物の処分についての意思確認を、顧問弁護士に依頼しました。
やはり餅は餅屋です。それからほどなく、春野と秋川から荷物の処分に同意する承諾書が届きました。
費用と未払い家賃は回収できませんでした。
方法がないわけではないのでしょうが、完全に費用倒れです。
O家さんは無事に部屋が空いたことでよしとせざるを得ませんでした。
とさ。
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